記事 当事者体験

私が学校に行かない理由。

まずはじめに、この記事を読んでくれている人へ。

私にはあなたがどんな理由で読んでいるのかはわかりません。不登校の生徒を持つ先生かもしれないし、学校が嫌いなお子さんを持つ親御さんかもしれない。はたまた、興味もないのに私の誤字脱字確認のために読まされている人かもしれない。どんな方であっても、これだけは忘れないでください。これは私の話であり、誰かに無理矢理当てはめるための材料ではありません。一人一人理由は違うのです。「こんな人もいるんだな」という軽い気持ちで読んでください。

私は小学5・6年生と中学3年生と高校一年生で学校にあまり行かない時期がありました。文部科学省が定める不登校の条件である、年間30日の欠席にはギリギリならないように登校していました。28日くらいは休んでましたけど。

[小学生]

何でかわからないけど、何となく行きたくないし、何となく頭痛い。と言って週に2・3回は休んでいました。

今思えばその頃に思春期が始まったからだったのかなと思います。気持ちの面では、自分は何か周りと違うように感じたり、兄の不登校に親が手を焼いていて少し疎外感を感じていた。体調の面では、ホルモンバランスが乱れた。という理由だったのではと思います。

その頃はまだ自分の気持ちに気づく力も、気持ちを表現する言葉も知らなかったので「とにかく行きたくないし行けない」としか言えませんでした。

小さな子のイヤイヤ期のように、何だかわからないけど嫌なんだ!という気持ちを学校に行かないという方法で表現していたのかもしれません。

[中学生]

中学1・2年生は楽しく、それなりに学校に通っていました。

ですが3年生になってすぐ、学校に行きづらくなりました。

クラスの女の子を泣かせてしまったのが原因でした。私はリーダーになることを強く嫌がる彼女に対し、優しさのつもりで「どうしても嫌ならリーダーを誰かに任せてもいいと思う。」と言いました。ですがその言葉は伝言ゲームの様に変化して伝わっていき、彼女に届く頃には「あなたにはリーダーを務められないから誰かと代われ。」となっていたそうです。その翌日から、彼女が属するグループの男女10名ほどから毎日悪口を言われるようになりました。

悪口と言っても、ブス・デブ・死ね・臭い・消えろ・出しゃばり・黙れといった簡単なものでした。でも一年間毎日毎日授業中も大声で言われるのは、思春期の私にはとても苦しいことでした。また、彼らは先生や、他のクラスメイトにも暴言を吐いていたので「大人には頼っても意味がない。」「悪口を言われているのは私だけじゃないから、きっとこれはいじめではない。」と思う様にしていました。

でもどんなに悲しみを押し殺しても、確実に心はすり減っていきました。どんどん朝起きれなくなり、毎日泣く様になり、過呼吸気味になる程泣きながら登校したり、尖ったもので自分を引っ掻く様になりました。その時の私は完全なる鬱病だったのです。でも登校しないと志望校に受験できないと思い、どんなに辛くても行っていました。行くことをやめられませんでした。

幸運なことに、私の成績(内申)は良い方だったので、面接だけで高校に入れてもらえることになりました。その面接日以降、1日も学校には行きませんでした。卒業式にも出ませんでした。

推薦入試日以降は学校に行かず、高校から出された課題をしつつ、母とよく出かけて過ごしました。色々な人に出会い、母との時間をとれた、人生にとって意味のある時間でした。それまで母とは分かり合えないと思いながら暮らしていましたが、一緒に出かける様になってからは心の底から信頼でき、私のことを愛してくれる大切な存在だと思える様になりました。

[高校生]

中学生の頃のトラウマと鬱病で行けませんでした。

先生もクラスメイトも凄く優しくて大好きで楽しい学校でした。

でも『学校』というもの自体が、怖くて苦しくて辛いものだと体が拒むのです。制服の襟がチクチクして着れなかったり、ヘッドフォンやフードがないと落ち着かなくて電車に乗れなかったり、教室の電気が目を刺すように痛かったり。学校に行こうと思うと気分が沈み、動けなくなり頭が痛くなりました。二週間丸々行けなかった時は本当に辛かったです。行かなきゃという焦りと、みんなに会いたいのに体がいうことを聞かないという葛藤でした。行きたくないのに行かなきゃいけない中学よりも、行きたいのに行けない高校の方が辛かったです。

テスト期間は、休みがちだったので勉強がわからず、赤点をとるのではという恐怖に怯えて何もできませんでした。寝るか泣くかしかできない日々でした。

高校一年生の終わり頃に「私はきっと学校というシステムに合ってないし、無理して通って心身ともに壊れてしまったら、今後の長い人生が楽しめない。今の私には少し休む時間が必要だ。」と思い、転校を決断しました。

高校2年生である今は、通信制高校に通いながら自分のペースで生きています。鬱の影響で感覚過敏(普通の人よりも臭い、音、光、手触り、味覚に敏感な事)が生活を邪魔してきますが、その分多くの素敵な人に出会えました。私は今とても幸せです。だって気分が沈んでも、苦手なものが多くても、助けてくれる家族や学校、知り合いがたくさんいるんですから。

最後に突然ですがこのサイト、NeBAの代表の言葉を共有させてください。

『学習拒否は問題かもしれないけど、登校拒否は別にいいと思う。』

実際学校に行かなかったことで成長できた私には凄く響く言葉でした。身を守るための登校拒否もいいのではないでしょうか。未来のことを考えるよりもまず、今の自分のことを大切にしてあげるのもありだと思いませんか。

元気になって、学校に行きたくなったら行けばいいのではないでしょうか。後でいくらでも挽回はできます。結局は自分の人生なのですから自分の思うがままに生きてみるのが面白そうではないですか?

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